2019年6月8日土曜日

待っているだけは嫌でした

毎日言いたいことがあっても

毎日伝えたいことがあっても

毎日知っていても伝えられなかった。

毎日書くことも出来なかった頃

毎日なんとかして伝えたいという気持ちでいっぱいだった。

そんな時、伝えることが出来るようになったのが筆談でした。

そんな時、書かせてもらうのを待っているだけでした。

待っているだけは嫌でした。

そんな時、大きなおならが出て「伝えたいのに~」とおならで言いました。

待っているよりも良かったです。

待っているよりも良かったです。

そんなおならが使えるようになっていた頃

次なる手段が鼻鳴らしでした。

それが長く続いていたので鼻を悪くしてしまいました。

そしてやっと咳払いをするということに辿りついたのです。

2019年6月2日日曜日

伝えたい気持ちがある時


諦めていました。

待っていてもなかなか伝えられない時期がありました。

それが書かせてもらえるようになって、待っていなくてもよくなりました。

それでも待って書くよりも、自分から言えるようになりたかった。

そんな時、咳がたくさん出てきてお母さんが「どうかしたの」と聞いてきてくれて

『待っていました』という気持ちで書きました。

それからは、咳がお母さんに伝わることを確認して、咳で書きたい気持ちがあることを伝え、伝えたいことを筆談で伝えました。

2019年5月12日日曜日

熱い気持ちで伝えます。


 

熱い気持ちがあれば出来ないと思っていたことも出来るようになってきます。

お掃除もやれないと思っていましたが

こんな僕でも出来ています。

お母さんも僕が一人で出来るように手伝ってくれていますが一人でやれることも増えきています。

お母さんは僕が小さい時から一人で出来ることを少しずつ増やしていこうと考えてくれていました。

お風呂の掃除もずっとしたかったから僕はお母さんに伝えていました。

一人で出来るようになりたいですがまだ出来ていないのでもう少し特訓が必要です。

頑張りたい気持ちもあるし、

やりたい気持ちもあるし、

うまく出来なかったらと思う気持ちもありますが、

熱い気持ちがあることを書いて伝えることが出来ています。

 

2019年5月5日日曜日

待っているみんな


待ってるみんな(注1)が居てるので熱い気持ちで伝えます。

疲れています今の僕は

熱い気持ちがあっても疲れがたまると今の僕はできません。

しかし待っているみんなの為に書きます。

待っているみんなは書くことが出来ません。

それでもみんなは待っています。

いつか自分の気持ちが伝えられる日が来る事を待っていることすら伝えられずに待っています。

 

(注1)コミュニケーションにハンディのある人達

2019年4月28日日曜日

ポインティングの練習が始まって


ポインティングの練習がいつも嫌でした。

筆談あるのになんでやるのかと思い、

いつもいつも嫌でした。

お母さんがやりたいので一緒になってやるしかなかったです。

そんなついついで始めたポインティングの練習ですがついついやっていると、

気持ちを伝えることの出来ないみんなが待っていると思うようになり、

待っているみんなの為になるならと考えるようになってやる気になってきました。

お母さんがやってくれることは案外楽しいことが多かったです。

それでもお母さんが疲れていた日は練習がなかったので寂しい日もありました。

 

僕と筆談との出会い


 
あの時(注1)、僕はお母さんに連れられて突然でしたが神戸(注2)に行きました。

阿部先生(注3)に会えるならと思い行ってみようと思いました。

まさか筆談をすることになるとは思っていませんでした。

やることはやりました。

みんなの前でやるしかなかったです。

それが後の僕の人生を大きく変えるとは思いもよりませんでした。

 

(注1)小学校4年生

(注2)日本抱っこ法協会の研修会

(注3)日本抱っこ法協会元会長

 

 

2019年4月14日日曜日

はじめまして

 
 
 
 
 
 
 
こんばんは、僕の名前は中川洋輔です。

1984年生まれ。介護レンタルを扱っている作業所で仕事をしています。

そのかたわらで講演会活動や筆談援助者勉強会で筆談ユーザー先生として参加もしています。

現在は指談で会話をしたり、自力ポインティングをマスターする為に毎日早朝から練習に励んでいます。