母「仕事として筆談する時と自分の気持ちを筆談する時と、昨日は自分の気持ちを書きたかったんやね?」
そうです。
母「5、6年待ってたってこと?」
そうです。
母「おばあちゃんの介護はお母さんもしんどかった。でもお母さんしかいないからやるしかなかった」
母「だから洋輔もあやちゃんも待ってくれてた」
そうです。
母「だから昨日はかしこく待ってたよって言いたかった?」
そうです。
母「色んな気持ちで待ってたんやね」
母「みにちゃんにはありがとう。亡くなったおばあちゃんには?」
待ってたんです。
やりたくなくてもやりました。
待ってたんです。
おばあちゃんが命を全うするまで待ってました。
母「お母さんもいつ終わるのか何時まで続くのか・・・」
そうです。
母「おばあちゃんの納得いく暮らしがこの家では出来なかったと思う」
母「ここで暮らす生活は嫌やったやろうね」
母「認知症になってもやりたいことができるそんな生活を望んでたからね」
そうです。
母「おばあちゃんにちゃんと優しい気持ちがあると知りながら、お母さんは筆談することが出来なかった」
そう。
大した仕事も出来ませんでした。
もっとして欲しかったです。
「宝塚」(独り言を言う)
もっと宝塚をしっかりして欲しかったです。
母「お母さんがT市の仕事とおばあちゃんの介護している間、宝塚のことしっかりできていなかったということ?」
そうです。
「待ってたよ。おばあちゃん全う出来たね」
そうです。
これからです。
母「前に進みましょう」
「これから法要や納骨したり、京都の大きなお墓に行ったり」「お礼参りに行ったりあるけど」
そうです。
母「昨日の話、待ってたよ!はこんな感じの意味でしたか?」
やりたくてずっと待っていました。
ここからです。
宝塚を作りましょう。
待ってるよ。
母「誰が?」
おばあちゃんです。
もう知ってると思うけど、おばあちゃんがやりたくても出来ませんでした。
知ってるからやりたい仕事でした。
母「おばあちゃんも筆談勉強会に行ったこともあったもんね」
そうです。
母「おばあちゃん、デイサービス経験して感じてたやろうね」
そうです。
母「でも認知症の人が筆談で気持ちをちゃんと伝えれるなんて、誰が信じる?」
宝塚です。
それがやりたかったんです。
確かにやれていませんでした。
母「時間がなくなってきたから今日はこれで終わろうか」
そうです。
2022年8月29日月曜日
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